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第7官界彷徨

第7官界彷徨

古今和歌集 恋の歌

2012年1月
 古今集は、今日から卷11の恋歌になりました。
469番     題知らず   読み人知らず
*ほととぎす鳴くやさつきのあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな

 古今集は、例えば季節では順番にきちんと並べられています。その並べ方は、例えば一番は立春の歌。しかし、8番に正月3日の歌がきている。
 これは、契沖によれば、古今の編者たちの考えは、立春、春、夏、秋、冬などは、人の浅はかさでは決められない天の論理であり、正月、3日などは、人の論理。
 そして、天と人をコントロールできるのは、天皇のみである、という、勅撰和歌集の論理らしい。

 勅撰和歌集で、卷の最初に歌が記されたのは、たいそう名誉なことなのだが、恋の歌の最初は、詠み人知らずになっている。

 古今の読み人知らずの歌は、古今以前(特に万葉集の)の歌の風格たことばを持った歌が多い。
 万葉集巻18の4101番大伴家持の歌に
「(前略)ほととぎす 来鳴く五月の あやめ草 花橘に(後略)

 4116番に
「(前略)ほととぎす 来鳴く五月の あやめ草 よもぎ鬘き(後略)

 とあるのを持って来て、「あやめも知らぬ恋もするかな」と付けたらしい。
 昔からの歌の素材を持って来て、それの呼び起こすスピリチュアルな感覚、に、そのあやめ(文目)の分からない恋というもの、と、少しウイットをきかせたのを、最初に持って来て(誰かが作って)、それ以後はおのおのの、恋への説がおかれている、ようです。

 そして、季節の歌のように恋の歌も並べようとしている。
 恋の1、2、3、4、5は、憧れる心から出会って、そのうちにどうにもならなくて、終り、というように並んでいる。
 ちょうど山を登って下りるまでの歌であるが、古今集の歌に頂上の歌は、あるかないかくらいしかない。
 古今集では、恋の本質は、プロセスにあり、ととらえているらしい。
 万葉集には、プロセスは、あまりないし、重要視されていない、らしい。

 正岡子規くんは、ここまで読みこまないうちに亡くなってしまったのかもね。
   
2012年1月21日
巻の十一、恋歌。
469番題知らず      詠み人知らず
*ほととぎす鳴くやさ月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな

 古今集は、季節の歌に季節の推移があるように、恋の歌にも初恋から別れまで順序立てて並んでいるらしい。
 恋の歌の五つの巻で、最初の歌の作者は、小野小町が2、業平くんが1、読み人知らずが2、です。

 ちなみに、勅撰和歌集の21代集のトップはほとんどが男で、女は1080年頃、女性たちが活躍したあとに編まれた、後拾遺集だけが「小大君」という女性なんですって。
 そして、21代集の編者は全員が男性だそうです。

 次に
479番        つらゆき君
*山ざくら霞のまよりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ

 山ざくらは、今いる所よりも遠くに咲いていて、霞のようにぼんやりとしていてとらえどころがなくて、心理的距離感が出ているそうです。
 「見てし」は、完了の助動詞「て」が入って、ほのかにだけど、しかと見た!という感じかな?

 そしてこの歌は、その前の歌
 春日神社の祭りに行った時のうた。
478番       みぶのただみね君の
*春日野の雪間をわけて生ひいでくる草のはつかに見えし君はも

 と、どうも対になっているようです。
 ただみね君とつらゆき君が、二人で相談して作ったらしい。古今集には、対になった歌が多く見られるみたいです。これがのちの「連歌」につながっていくみたい。
 

2012年3月20日
恋の歌卷の2
484番          詠み人知らず
*夕ぐれは雲のはたてに物ぞ思ふ あまつそらなる人を恋ふとて

 一読して分かりやすい歌。
 下の句と上の句を変えれば散文になるし。

 古今集には恋の歌は5卷あり、春夏秋冬の自然の歌とおなじように、恋のはじめから終りまでを順序立てて載せてある。

 しかし、幾つかの疑問が。

 恋の巻1は83首あり、そのうち71首が詠み人知らず。
 巻2には64首のうちわずか3首が詠み人知らず。
 巻2の作者は、6歌仙及び編集者のお友達。

 つらゆき君たち古今集の編集者は、どういう意図で巻1に詠み人知らずをこんなに入れたのだろうか?

 閑話休題
 21ある勅撰和歌集の編者は、全員が男性である。
 それは、やまとうたの基本条件は「漢詩=男うた」だから。
 唐には女性詩人(漢詩)は皆無。
 こういう広い文化史をバックグラウンドにして、私たちは古今和歌集を読みとく必要がある、、のだそうです。

 歌にもどって
「夕ぐれは」
 普通には古代の結婚形態として「男がやってくるのを待つ時間」が考えられてきた。
 作者は女性かも。
 しかし、「夕ぐれ」はそれだけではない。
 昼に夜が入ってくる時間。昼の終り、夜の始まりという両義性をはらんだ予感のおののきの時。夕ぐれは一般的な言葉ではあるが、ある何かのニュアンスによって、特別な意味を持たされるもの。

「雲のはたて」
 雲は、それぞれの生活体験でさまざまな貌を見せるもの。リストの「灰色の雲」。

 はたて、の端は「端て」ては「手」行く手みたいな意味合い。自分とは違う、遠いもの、しかも離れていきそうな距離感をはらんでいることば。
 もう一つの意味合いとして「旗」もある。
 千切れる旗のように思い乱れた心の象徴かもしれない。

 この歌の元になっているのは、古い漢詩にあり、はるかな戦場に行った男に、残された女が思いをうたう。男は兵士、女は砧を打っている、、、。

「天つ空」
 奈良時代以前は天=人間世界と違った神々の世界
 平安時代には虚という意味合いが出て来る。
 作者はひとり遠くの人に、すでに手が届かない人というレッテルを貼ってしまった。

「恋ふとて」
 恋は孤独なもの「孤悲」
 大岡信は「うたげと孤心」で
 「うたげの中で孤心が生まれる
  孤心の中でうたげが生まれる」
 と言っているそうです。言葉を介在しての相対的精神の運動。文学の楽しみはあちこちに。

 詠み人知らずではあるけれど、作者は男か、女かという推測が、、、。
 答は、次回です!
 
2012年4月17日
 昨日は、古今和歌集の日でした。
 恋の歌の1。

*夕ぐれは雲のはたてに物ぞ思ふあまつそらなる人を恋ふとて

 の復習。読み人知らずなんだけど、古く中国の、辺境の守りについた夫たちを思い砧を打つ女たちの漢詩
 中国の古い詩編の中にある、女が遠くの男に歌いかけている歌を踏んでいる日本の和歌といえる。

 詩経の中の?「古詩十九首」にあるらしい。

 行行重行行
 与君生別離
 相去万途身
 会而安可知

 中国文学が教えてくれた古い歌が、平安時代の日本人文化に深く擦り込まれている。

 君子在天
 妾心久別離
 (離れて行った男に女が呼びかけるこんな詩も)

次に522番
*行く水にかずかくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり

520番
*こむ世にもはやなりななん めの前に「つれなき」人を昔と思はん
521番
*「つれもなき」人を恋ふとて山彦のこたへするまで嘆きつるかな
 
522番も、多くの異本が「つれなき人を」になっているので、「つれなき」を集めてあるらしい。
そして、521番は「山彦」
    522番は「水」

 そんな感じでも、貫之くんたち編集者の、古今集の配列のひとつの考えかもしれない。

 歌の解釈は
「流れる水に数字を書いてみるように、思ってくれない人を思うのは、はかないものさ」

 枕草子の「~のものは」など、平安時代の宮廷の人々の感覚で、共同体の中で、誰もがわかるということで成立している。
 あるある、、、みたいな。

 この歌は、孔子の言葉
「行く水はかくのごとくに流れる」
 を、オリジナルイメージとして、みんなが「そう、そう」と思って読んだと思われる。

 論語の中の「子かん」という部分
 「かん」とは、孔子さまが稀におっしゃったテーマのこと。これは、男女の色恋のことだそうです。

 子在川上曰
 逝者如斯夫
 不舎昼夜

 この孔子さまのつぶやきが、古今集のこの歌の原点(原典)で、日本人(貴族)たちは、こういう文化を中国に学んでいたのですって!
 
 今日の題名は、子規の俳句
*花散って水は南へ流れけり

 この「南」というのも、多分中国から来た何かの意味合いなんでしょうね。

 そうそう、孔子嫌いの永井荷風は、犬の名前を「子路ーしろ」とつけて、いたぶった?そうです。
 孔子嫌いと言っても嫌中国ではなくて、他の誰かが好きだったみたい。
 荘子かな?荘子も子がつくけど。でも、子といえば孔子なのでしょうね。

2012年、5月15日
昨日は古今和歌集の日でした。
恋の歌一、522番詠み人知らず
*行く水にかずかくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり

 契沖は、この歌によく似た万葉集の2433番の歌
*水の上に数書く如きわが命を妹に逢はむと誓約(うけ)ひつるかも

 をあげ、それは、涅槃経の、
 是身無常 (人の身は常なきもの)
 亦如画水 (また水に描けるがごとし)
 随書随合

 の精神が、すでに万葉集の時代に中国から入って来ていたのだ、と説明しているそうです。
 文学の世界はそれを通して諸々のデータをわれわれに教えてくれる、のだそうです。

 この歌は、また伊勢物語にもあります。
 五十段

【 むかし、男ありけり。恨むる人を恨みて
*鳥の子を十づつ十は重ぬとも思はぬ人を思ふものかは
 と言えりければ
*朝露は消えのこリてもありぬべし誰かこの世を頼みはつべき
 
また、男、
*吹く風に去年の桜は散らずともあな頼みがた人の心は
また、女、返し
*行く水に数書くよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり

また男
*行く水と過ぐるよはひと散る花といづれ待ててふことを聞くらむ

 あだくらべ、かたみにしける男女の、忍びありきしけることなるべし。】  

 伊勢物語は、名前を上げずに「男」「女」とした不特定の所が、絶品の所以なのに、中世の頃は、強引に名前をあてはめる研究が行われたらしい。
 ここでは、男は業平で、女は小野小町とされた。
 この歌のやりとりは最終的に、男が
「行く水も、時も、散る花も、誰も待ってはくれないよ。あなたの言葉には耳を貸さないよ」と、強気。
 伊勢物語は、全編を通して男が優先され、「みやびが分かる、みやびの概念は男のもの」なのです。

 次に546番も詠み人知らず
*いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり
(いつが特別にあなたのことが恋しいというわけではなくて、いつも恋しいのだけれど、一番私の心があなたに惹き付けられるのは、秋の夕べです!)

 こういう情緒を持てるのは小町!
 小町集に入っているそうです。

 秋の夕べがこういう心持ちになるというのを、日本人は漢詩から学んだようです。 

 白居易の詩 「暮立」
黄昏独立仏堂前
満地槐花満樹蝉
大抵四時心惣苦
就中腸断是秋天(秋の夕暮れ)

 中国から学んだこういう感覚を、昔から日本人は大好きだったんですって!
 題の「暮立」の立は、立っている、という意味らしい。立ち尽くしているのかも。

2012年10月16日
 昨日は古今和歌集の日でした。
 625番
*有明のつれなくみえし別れより 暁ばかりうきものはなし
        みぶのただみねくん

 有明の月が無関心のように見えた。
 暁というほどつらいものはない。

 この2つの「あ」は共鳴して、リズムを生んでいる。

 「有明」という言葉の登場は、万葉集に3例あり、うち2つは「在明」で、1例は「在開」だそうです。
 共通するのは、3つとも「ありあけの月夜」となっていること。

 古今になってから「有明の月」となるそうです。

 有明とは、何かが有って、明けた、、という時間の推移を持つ言葉らしい。
 神の支配する時間から、人の支配する時間への移行の時でもある。(こぶとりじいさんの鬼の支配する時間とか)

 最近見つかった物語に「有明の別れ」というのがあり、これは、薫てき主人公と、男装の近衛大将になるヒロインのお話だそうです。

「つれなき」は万葉集に11例あり、1つは「つれなき」で、あとの10は「つれもなき」。
 そして11例中6例は「挽歌」。

 暁とは、男女が会いあって別れる時間。
 枕草子に「春はあけぼの」とあるが、どちらが早いか。

 日本書紀にこの時間を示す証拠が2つあり、ひとつは
 推古19年5月に薬草狩りに集合するとき。
 
 宇多町に集合するのは「あかとき」で、
 皆が集まったら「あけぼの(会明)」に出発。

 という記述があり、あけぼのは、暁の後なのだと分かるそうです。
 
 そうそう、折口信夫全集の「新古今前後」には、後鳥羽院が、定家と家隆に「古今集第1の歌は何だと思うか?」と聞いたことが書かれているそうです。
 そのとき、定家も家隆も、この歌を挙げたそうです。
 そしてまた、折口信夫は、定家の父の俊成は、歌に物語的ふくらみを持たせ、古今集から新古今集に移って、本歌取りなどが頻繁になり、ダブルイメージ、トリプルイメージを歌に持たせるようになった、、、と説明しているらしい。

 俊成がジャッジをつとめた、600番歌合わせでの俊成のうた
*秋の夜の深きあはれは有明の月見しよりぞ知られそめにし
 は、この「有明の、、」の歌をふまえているんですって!

2012年11月
今日は古今和歌集の日でした。
 恋歌三
NO637        よみ人しらず
*しののめのほがらほがらと明けゆけば
       己が衣ぎぬなるぞかなしき

 この歌があることによって、古今集の配列が見えてくる重要な歌なのだそうです。

 しののめ、という言葉は連体格の「の」がプラスされて使われることが多い。
 万葉集2478には 細竹目=しののめ
    2754には 小竹之眼=しののめ

 ほがらほがらと、は、気持ちよく明けていくプロセス

 ほがらとは和語。平安時代には
蜻蛉日記=明るく晴れ晴れのほがらか
栄華物語=いろいろなものに通じているほがらか

 という意味で使われている。
 和語ではあるけれど漢字にすれば、ほがらは「廓」
 中に何かをこめながら囲まれている、ゆったりと展望が開けている、という感じ。

 己が衣ぎぬなるぞかなしき
 は、それぞれが自分の着物を着て別れる時間になった。

 上の句は、明るい天地=人の思慮を超えた無情の世界
 下の句は、男女それぞれの思いの有情の世界。
 何気なくよめるが、対比を描いてとく考えられた歌。

 そしてこの歌は、古今集の配列がよくよめる場所に存在している。
 古くから国文学者たちはなぜ「この歌」がここにあるのか、研究してきた。
 編者たちは沢山の歌を集めてきて、並べた。
 その時、どのような考えが働いたのか?

 昭和40年に松田武夫氏が書いた
「古今集の構造に関する研究=恋歌の3」によれば

 以下の3首は相会う夜のくくりで集められた

634番*恋ひ恋ひてまれにこよひぞ「あふ」坂の木綿つけ鳥はなかずもあらなん
635番*秋の夜も名のみなりけり「あふ」といへば事ぞともなく明けぬるものを(小町)
636番*長しとも思ひぞはてぬむかしより「あふ」人からの秋のよなれば(みつね)

 以下の6首は、衣ぎぬ(後朝)の思い、のくくり

637番*しののめのほがらほがらと明けゆけば己が衣ぎぬなるぞかなしき
638番、639番、640番、
641番*ほととぎす夢かうつつか朝露のおきて別れし暁のこえ
642番まで。

 先の3首には「あふ」で共寝をしたらしい様子。
 次の6首は「あく」であけゆく「しののめ」から、「あけぬ」(明けた)時の推移も含まれている。
 言葉をもとに細かく分けられて、よく出来た例になっている。

次の歌は
647番  題知らずよみ人知らずであるが、業平の作でも小町の作でも通るうた

*むばたまの闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり

 小野小町は古今集に30首、その中にも「夢」という言葉を多く使っている。
 小町は「現実と相対する概念として、夢の世界が真実といわんばかりの歌を作った。 

 この歌は
 はっきりした夢の実存感は、闇の中での恋の実事よりも、よほど確かだ。実の男女関係が、どれだけ優れているのかなんて、とても言えない。という歌。

小町のうた
656番
*うつつにはさもこそあらめ夢にさへ人めをもると見るがわびしさ
657番
*限りなき思ひのままによるもこむ夢路をさへに人はとがめじ
658番
*夢路には足もやすめず通へどもうつつに一目見しごとはあらず

2012年12月18日
今日の歌は恋の歌巻の4
694番     よみびと知らず
*宮城野のもとあらの小萩 露を重み風を待つごと君をこそまで 

 宮城野という言葉は、万葉集にはなくて、古今が初出。(2例)
 もう一つは

東歌
1091番
*みさぶらひ御傘と申せ 宮城野のこの下露は雨にまされり

 お供の方よ傘を用意なされませ、、、で、この歌は、源氏物語で源氏が末摘花のもとを訪ねる時に、惟光が傘をさしかけた場面に引用されているそうです。

 平安時代、みちのくは都から見て遠く異質な場所。そこに位置する宮城野は、未知のものへのいくばくかの憧れか、または男女の恋愛の距離感をイメージする言葉になったらしい。

 694番の歌により、宮城野には萩があり、秋のイメージがつき、萩にはまた鹿のイメージを呼び起こすようになったらしい。

 源氏物語に出てくる「宮城野」は、
 桐壺の更衣が亡くなったあと、祖母に育てられている源氏に、桐壺帝が使者を出します。

 若君を亡き更衣の忘れ形見として、宮中においでくださいますように、、。
 添えられた歌は
*宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそすれ

 この場合、宮城野は宮中、小萩は幼い源氏という意味で、古今の歌をもとに、紫式部のイメージ作成能力のすごさ、が分かるそうです。

 次の695番の歌
*あな恋し 今も見てしが山がつのかきほにさける大和撫子

 この歌も源氏物語に引用されているそうです。
 帚木の巻の有名な雨夜の品定めの場面、頭中将が通った女のことを話します。わざと身を隠すような頼りない女の例。

 その女(夕顔)が撫子をつけてよこした手紙に
*山がつの垣ほ荒るともをりをりにあはれはかけよ撫子の露

 夕顔は上の句「あな恋し」を言わない女だったのです。

 この歌の引用で、和泉式部が帥の宮と恋愛関係になり、正妻を出して和泉式部を家に迎え入れようとし、それを受け入れるかどうか悩んでいるときに、帥の宮からの手紙が来て、そこにこの695番の歌が書かれていたのだそうです。
 
 和泉式部はそれに対して、古今集のこの歌を知っているという前提で
「あな、もの苦をし=まあ、おばかさんね!」と返したらしい。

次に、797番    こまち
*色みえでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける

 色とは仏教の世界で人間の存在を表す。
 たくさんの男が色よいことを言ってきても、やがてうつろっていくものだということを知ってしまった。

 恋の嘆きの歌ではあるけれど、人の世を認識できる女人の哲学的悟りの境地、、、らしい。
 小町って、きれいなだけじゃなくて、やっぱりただ者ではなかったのね♪

2012年12月を以って、古今和歌集の講座は終わりです。



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